そして迎えた84-85シーズンには、とうとう欧州CC初優勝を果たす。このときの
決勝であるリバプール戦には“ヘイゼルの悲劇”という影が付きまとうが、内容自
体は、よく守り、ボニエクがPKを貰い、プラティニが決めるというユベントスにと
って理想的なゲーム運びであったといえよう。ちなみに、多くのタイトルを運びユ
ベントスの伝説となったプラティニは、個人としても加入から3年連続でリーグ得
点王に輝いただけでなく、3年連続バロン・ドール受賞という快挙を達成している。
1985年にボニエクがローマへ、タルデッリがインテルへ、1986年のリーグ優勝を最
後にトラパットーニ監督も去り、1987年にはプラティニも引退を発表した。
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